太田川と排水機場 ― 2009/07/12 18:38

太田川は五泉市五十嵐新田地内を起点とし、同市三本木地内で早出川に合流する阿賀野川水系の一級河川だ。
太田川は早出川と五泉市街地のある段丘の間の氾濫源を流れ、山地を持たない平地河川だ。そして、その殆どの区間は段丘涯に沿って流れている。
戦前に早出川の堤防が完成し、戦後は氾濫源の市街化が進んだ。しかし、低平地を流れる太田川は平常時は自然排水できるが、早出川の水位が上昇した場合には排水できなくなるので、合流点には排水機場が設けられた。
この排水機場は五泉市が設置し管理していたが、早出川の改修に伴い国土交通省が改築した。
太田川が合流する早出川は阿賀野川の一次支川だが、下流部は国土交通省の管理し改修を行っている。
そのため、太田川自体は新潟県が管理する河川だが、この太田川排水機場は国土交通省の阿賀野川河川事務所が管理することとなったのだ。
今日は早出川合流点からJR磐越西線までの区間を歩き、その上流部の水田地帯は車で回り、起点部まで行くことにした。
9時半に太田川排水機場を出発し、まずは粟島公園を目指して、歩き始めた。
太田川は早出川と五泉市街地のある段丘の間の氾濫源を流れ、山地を持たない平地河川だ。そして、その殆どの区間は段丘涯に沿って流れている。
戦前に早出川の堤防が完成し、戦後は氾濫源の市街化が進んだ。しかし、低平地を流れる太田川は平常時は自然排水できるが、早出川の水位が上昇した場合には排水できなくなるので、合流点には排水機場が設けられた。
この排水機場は五泉市が設置し管理していたが、早出川の改修に伴い国土交通省が改築した。
太田川が合流する早出川は阿賀野川の一次支川だが、下流部は国土交通省の管理し改修を行っている。
そのため、太田川自体は新潟県が管理する河川だが、この太田川排水機場は国土交通省の阿賀野川河川事務所が管理することとなったのだ。
今日は早出川合流点からJR磐越西線までの区間を歩き、その上流部の水田地帯は車で回り、起点部まで行くことにした。
9時半に太田川排水機場を出発し、まずは粟島公園を目指して、歩き始めた。
五十嵐川と常盤橋 ― 2009/07/13 21:01

今日は平成16年に発生した7.13新潟豪雨からちょうど5周年になる。
この豪雨では新潟県中越地方を中心に日雨量が400mmを超えた。
このため、中越地方の多くの河川が氾濫し、被害が発生した。
特に三条市を流れる五十嵐川、中之島町(現長岡市)と見附市の間を流れる刈谷田川では溢水により堤防が決壊した。これにより三条市では9名、中之島町では3名の方が亡くなられた。
今日は三条市と長岡市中之島地区で慰霊祭が行われた。
五十嵐川では改修と同時に架け替えが行われていた常盤橋(ときわばし)が竣工し、開通式が行われた。
常盤橋は主要地方道長岡見附三条線の橋梁で、新潟県が管理している。これまでは歩道のない狭い橋だったため、五十嵐川災害復旧助成事業と街路事業との合併で両側に歩道のある橋に架け替えられた。
元々の常盤橋はコンクリートの床版橋であったが、親柱と高欄は御影石調の石橋風であった。
そのため新しい橋の親柱は以前のものと同じ作りとなっていた。高欄は鋼製となっていたが、御影石調の塗装が施してあった。
一見は以前の橋と同じように見えるが、やはり重厚さが違う。担当者の努力に敬意を表するが、昔できたものが今はなぜできないのか。
今は何においても経済性が要求され、景観法が成立したにも関わらず文化性はおろそかにされている。
さて、橋は10時から式典が行われ、午後2時に一般に開放された。
開放直後に常盤橋を訪れた。
常盤橋は架け替え前は一方通行であったが、橋からは両側通行となった。しかし、右岸側取り付け道路は狭いままであるのでここで渋滞となっていた。
この取り付け道路の拡幅はこれから街路事業で2期工事として実施されるそうだ。
この豪雨では新潟県中越地方を中心に日雨量が400mmを超えた。
このため、中越地方の多くの河川が氾濫し、被害が発生した。
特に三条市を流れる五十嵐川、中之島町(現長岡市)と見附市の間を流れる刈谷田川では溢水により堤防が決壊した。これにより三条市では9名、中之島町では3名の方が亡くなられた。
今日は三条市と長岡市中之島地区で慰霊祭が行われた。
五十嵐川では改修と同時に架け替えが行われていた常盤橋(ときわばし)が竣工し、開通式が行われた。
常盤橋は主要地方道長岡見附三条線の橋梁で、新潟県が管理している。これまでは歩道のない狭い橋だったため、五十嵐川災害復旧助成事業と街路事業との合併で両側に歩道のある橋に架け替えられた。
元々の常盤橋はコンクリートの床版橋であったが、親柱と高欄は御影石調の石橋風であった。
そのため新しい橋の親柱は以前のものと同じ作りとなっていた。高欄は鋼製となっていたが、御影石調の塗装が施してあった。
一見は以前の橋と同じように見えるが、やはり重厚さが違う。担当者の努力に敬意を表するが、昔できたものが今はなぜできないのか。
今は何においても経済性が要求され、景観法が成立したにも関わらず文化性はおろそかにされている。
さて、橋は10時から式典が行われ、午後2時に一般に開放された。
開放直後に常盤橋を訪れた。
常盤橋は架け替え前は一方通行であったが、橋からは両側通行となった。しかし、右岸側取り付け道路は狭いままであるのでここで渋滞となっていた。
この取り付け道路の拡幅はこれから街路事業で2期工事として実施されるそうだ。
五十嵐川水害復興記念公園と慰霊碑 ― 2009/07/13 21:49

常盤橋を後にして、今度は5年前に破堤した地点(三条市諏訪地内)を訪ねた。
5年前の午後1時過ぎ、ここでは堤防を溢水した洪水流が堤防の裏法を削り、破堤に至った。
これにより嵐南地区と呼ばれる五十嵐川左岸側では約7千戸が床上・床下浸水し、9名の方が亡くなった。
この破堤地点付近は改修がすっかり終わっていた。そして、破堤地点は「五十嵐川水害復興記念公園」として整備されていた。そこには写真のような慰霊碑が設置されていた。
5年前、私がこの地点を訪れたのは破堤した翌日の7月14日であった。その時の姿からは今の姿を想像することはできない。
破堤地点から眺めた堤内地の姿は悲惨であった。田畑は流出し、住宅は泥に埋まり、自動車も流されて田んぼに埋まっていた。さらには新築したばかりの家が土台からずれているものもあった。
今では美田になり、住宅地は復旧さえ、新しい住宅も増えていた。
ここでは1時30分から慰霊祭が開催された。
訪れたときには慰霊祭も終わり、仮設テントの取り壊しも始まって、もう住民も殆どいなかった。
五十嵐川災害復旧助成事業で残るメニューは信濃川合流点にある嵐川橋並びに島田川と新通川の排水機場である。これも今年中には竣工するそうだ。
これにより、新潟県内で一番危険と言われていた五十嵐川の治水安全度は飛躍的に向上する。
しかし、これで絶対安全と言うことはない。
それはこれからは地域住民がどうやって五十嵐川と向き合うかに懸かっている。
5年前の午後1時過ぎ、ここでは堤防を溢水した洪水流が堤防の裏法を削り、破堤に至った。
これにより嵐南地区と呼ばれる五十嵐川左岸側では約7千戸が床上・床下浸水し、9名の方が亡くなった。
この破堤地点付近は改修がすっかり終わっていた。そして、破堤地点は「五十嵐川水害復興記念公園」として整備されていた。そこには写真のような慰霊碑が設置されていた。
5年前、私がこの地点を訪れたのは破堤した翌日の7月14日であった。その時の姿からは今の姿を想像することはできない。
破堤地点から眺めた堤内地の姿は悲惨であった。田畑は流出し、住宅は泥に埋まり、自動車も流されて田んぼに埋まっていた。さらには新築したばかりの家が土台からずれているものもあった。
今では美田になり、住宅地は復旧さえ、新しい住宅も増えていた。
ここでは1時30分から慰霊祭が開催された。
訪れたときには慰霊祭も終わり、仮設テントの取り壊しも始まって、もう住民も殆どいなかった。
五十嵐川災害復旧助成事業で残るメニューは信濃川合流点にある嵐川橋並びに島田川と新通川の排水機場である。これも今年中には竣工するそうだ。
これにより、新潟県内で一番危険と言われていた五十嵐川の治水安全度は飛躍的に向上する。
しかし、これで絶対安全と言うことはない。
それはこれからは地域住民がどうやって五十嵐川と向き合うかに懸かっている。
太田川と粟島公園 ― 2009/07/14 19:08

今日は太田川の話に戻ることにする。
早出川との合流点にある太田川排水機場から上流に向かって歩き始めると、30分ほどで粟島公園に着いた。
途中は住宅地が続いている。管理用通路もない区間も多く、住宅の裏の護岸の天端の僅かな空間を歩くところもあった。
さて、粟島公園は五泉市が管理する総合公園であり、8.4haと広大な敷地に、清流に親しめる噴水やスポーツ施設などがあり、市民の憩いの場となっている。五泉高校も隣にある。
太田川沿いを中心に500本のソメイヨシノが植えられており、シーズンには夜桜のライトアップが行われ、家族連れや職場の花見客などでおおいに賑う。
粟島公園には粟嶋神社があり、農耕の神様を祀ってある。元々は公園が神社の境内であったようだ。ちょうど明日(7月13日)はお祭りで、露店もでるそうだが今は幟があるだけだ。
太田川に粟島公園が接する区間は15年くらい前に新潟県の手により環境整備事業が実施され、写真の様に自然石護岸となり、所々は階段護岸となっている。
粟島公園の対岸は住宅となっている。写真を見て分かるように住宅は粟島公園よりも2m程度高くなっている。
先に書いたように、太田川は段丘崖沿いに流れている。これらの住宅の玄関側は道路となっている。道路と住宅の玄関は同じ高さだ。
すなわち、道路と太田川に挟まれた段丘崖の部分が住宅となってしまって写真のような光景となっているのだ。
住宅側から公園や河川を見ると眺めが良いが、河川側から眺めるとあまり好ましい眺めとはいえない。これはしかたないのだが。
早出川との合流点にある太田川排水機場から上流に向かって歩き始めると、30分ほどで粟島公園に着いた。
途中は住宅地が続いている。管理用通路もない区間も多く、住宅の裏の護岸の天端の僅かな空間を歩くところもあった。
さて、粟島公園は五泉市が管理する総合公園であり、8.4haと広大な敷地に、清流に親しめる噴水やスポーツ施設などがあり、市民の憩いの場となっている。五泉高校も隣にある。
太田川沿いを中心に500本のソメイヨシノが植えられており、シーズンには夜桜のライトアップが行われ、家族連れや職場の花見客などでおおいに賑う。
粟島公園には粟嶋神社があり、農耕の神様を祀ってある。元々は公園が神社の境内であったようだ。ちょうど明日(7月13日)はお祭りで、露店もでるそうだが今は幟があるだけだ。
太田川に粟島公園が接する区間は15年くらい前に新潟県の手により環境整備事業が実施され、写真の様に自然石護岸となり、所々は階段護岸となっている。
粟島公園の対岸は住宅となっている。写真を見て分かるように住宅は粟島公園よりも2m程度高くなっている。
先に書いたように、太田川は段丘崖沿いに流れている。これらの住宅の玄関側は道路となっている。道路と住宅の玄関は同じ高さだ。
すなわち、道路と太田川に挟まれた段丘崖の部分が住宅となってしまって写真のような光景となっているのだ。
住宅側から公園や河川を見ると眺めが良いが、河川側から眺めるとあまり好ましい眺めとはいえない。これはしかたないのだが。
太田川の起点 ― 2009/07/18 21:24
先に書いたように太田川は山地を持たない。
早出川の氾濫源に降った雨が田畑を潤し、その排水が集まり、太田川となる。しかし、降った雨だけでは足りないので、早出川や阿賀野川からの用水も来ている。すなわち早出川や阿賀野川も太田川の水源となっているのだ。
さて、写真の橋の手前(下流側)が太田川の起点である。
橋右側のたもとをよく見ると標柱が立っている。この標柱が一級河川の起点を示すものだ。
太田川はこの橋の上流で二股に分かれている。
一本は段丘崖沿いに流れる本流であり、もう一本は明らかに排水路である。いずれも同じような規模であり、川幅は二股に分かれる前よりはかなり狭い。
その面ではこの地点が起点となったのは頷ける。
さて、この標柱であるがコンクリート製であり、一級河川起点とは掘ってあるが、川の名前は書いてない。
この河川も新河川法が施行された昭和39年以降に一級河川に指定された。その際に数多くの河川が指定され、このコンクリート製の標柱が大量に造られたのだろう。
同じ一級河川とは言いながら、信濃川(千曲川)の源流碑とはまったく格が違う代物であった。
早出川の氾濫源に降った雨が田畑を潤し、その排水が集まり、太田川となる。しかし、降った雨だけでは足りないので、早出川や阿賀野川からの用水も来ている。すなわち早出川や阿賀野川も太田川の水源となっているのだ。
さて、写真の橋の手前(下流側)が太田川の起点である。
橋右側のたもとをよく見ると標柱が立っている。この標柱が一級河川の起点を示すものだ。
太田川はこの橋の上流で二股に分かれている。
一本は段丘崖沿いに流れる本流であり、もう一本は明らかに排水路である。いずれも同じような規模であり、川幅は二股に分かれる前よりはかなり狭い。
その面ではこの地点が起点となったのは頷ける。
さて、この標柱であるがコンクリート製であり、一級河川起点とは掘ってあるが、川の名前は書いてない。
この河川も新河川法が施行された昭和39年以降に一級河川に指定された。その際に数多くの河川が指定され、このコンクリート製の標柱が大量に造られたのだろう。
同じ一級河川とは言いながら、信濃川(千曲川)の源流碑とはまったく格が違う代物であった。
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