信濃川やすらぎ堤と芸術祭 ― 2009/08/02 21:30
現在、新潟市では「水と土の芸術祭」を開催している。
今日はいわゆる新潟島にある作品を巡って歩いた。
まずは信濃川のやすらぎ堤からスタートした。
最初に出会ったのは写真の作品だ。
作家はスペインのジャウマ・プレンサ(Jaume Plensa)で、タイトルは「THE HEART OF TREES」で、作品番号は17だ。
やすらぎ堤の2本の桜の木に、陶器製の人形が抱きついている。
この人形は川の方を向いて、目をつぶって瞑想している。
抱きついた桜の木の心を思い描いているのだろうか。
それともこの人形そのものが「木の心」なのだろうか。
現代アートであり、作者の弁も無いのでそこのところは分からない。
分かる必要もないのだろう。
作品を見た人がどう感じるかが大事なのだろう。
新潟県では妻有地域(十日町市周辺)でも、3年に1度開催される「大地の芸術祭」が同時に開催されている。
こちらも現代アートの作品であり、前回(3年前)見に行ったが、凡人には難解なものが多かった。
「水と土の芸術祭」も最初から「?」である。
今日はいわゆる新潟島にある作品を巡って歩いた。
まずは信濃川のやすらぎ堤からスタートした。
最初に出会ったのは写真の作品だ。
作家はスペインのジャウマ・プレンサ(Jaume Plensa)で、タイトルは「THE HEART OF TREES」で、作品番号は17だ。
やすらぎ堤の2本の桜の木に、陶器製の人形が抱きついている。
この人形は川の方を向いて、目をつぶって瞑想している。
抱きついた桜の木の心を思い描いているのだろうか。
それともこの人形そのものが「木の心」なのだろうか。
現代アートであり、作者の弁も無いのでそこのところは分からない。
分かる必要もないのだろう。
作品を見た人がどう感じるかが大事なのだろう。
新潟県では妻有地域(十日町市周辺)でも、3年に1度開催される「大地の芸術祭」が同時に開催されている。
こちらも現代アートの作品であり、前回(3年前)見に行ったが、凡人には難解なものが多かった。
「水と土の芸術祭」も最初から「?」である。
信濃川やすらぎ堤と芸術祭その2 ― 2009/08/03 22:06
しばらく下流に向かって歩くと、写真の作品に辿り着いた。
今度は竹で編み上げられた作品だ。
説明には「都市と自然のつながりを象徴するランドマークであり、内部は子宮のような精神的な空間である。」とある。
作家は台湾の王文志(ワン・ヴェンチー)で、タイトルは「Water Front 在水一方」で作品番号は18である。
背後には萬代橋と朱鷺メッセ(日航ホテル)が見える。
一つのランドマークとなっていることは確かだ。
中に入ってみると、竹で組まれたトンネルを抜けて、大きな空間にである。
床も竹が組んである。真ん中は四角く一段下がっている。掘りごたつの様に座ることができて、先客は足を伸ばしてリラックスしている。
何カ所か四角い窓がある。そこから信濃川の水面や対岸の都市を見ることができる。
窓のそばに座って、外を眺めているといままで見慣れた風景が目新たしく見える。
時折、風が通り抜け心地よい。なんだが居心地が良い空間だ。
今は洪水期であるが、信濃川河川事務所は設置をよく認めたものだ。
ちなみに、この作品は当初、県立植物園の池の設置する予定だったようだ。
今度は竹で編み上げられた作品だ。
説明には「都市と自然のつながりを象徴するランドマークであり、内部は子宮のような精神的な空間である。」とある。
作家は台湾の王文志(ワン・ヴェンチー)で、タイトルは「Water Front 在水一方」で作品番号は18である。
背後には萬代橋と朱鷺メッセ(日航ホテル)が見える。
一つのランドマークとなっていることは確かだ。
中に入ってみると、竹で組まれたトンネルを抜けて、大きな空間にである。
床も竹が組んである。真ん中は四角く一段下がっている。掘りごたつの様に座ることができて、先客は足を伸ばしてリラックスしている。
何カ所か四角い窓がある。そこから信濃川の水面や対岸の都市を見ることができる。
窓のそばに座って、外を眺めているといままで見慣れた風景が目新たしく見える。
時折、風が通り抜け心地よい。なんだが居心地が良い空間だ。
今は洪水期であるが、信濃川河川事務所は設置をよく認めたものだ。
ちなみに、この作品は当初、県立植物園の池の設置する予定だったようだ。
栗ノ木川排水機場と芸術祭 ― 2009/08/08 21:07
栗ノ木川はかつて「芦沼」と呼ばれた亀田郷を水源とする河川である。
この川については昨年春に紹介した。
今日は「水と土の芸術祭」の作品がある栗ノ木川排水機場の遺構を訪ねた。
栗ノ木川はかつて亀田郷の水を集めて通船川に合流し、信濃川に入る河川だった。芦沼と呼ばれたような亀田郷の排水は悪かった。
そのため、新潟市紫竹山地内に排水機場が昭和18年に着手され、昭和24年3月に完成した。排水量は毎秒40m3/sで当時は東洋一と言われた。
しかし、その後地盤沈下が進行し、さらに昭和39年6月に新潟地震に見舞われた。
この地震により栗ノ木川、通船川の堤防は壊滅的な被害を受け、この排水機場も被災した。
復旧に際しては、治水方式は変更され、栗ノ木川は鳥屋野潟を通じて信濃川に直接排水されることになった。
信濃川合流点には新たに「親松排水機場(排水量毎秒60m3)」が建設され、栗ノ木川排水機場は廃止された。
それから40年近くを経て、栗ノ木川排水機場は朽ち果て、現在では吸水口と船通しの一部が残っている。それも殆どが土の中に埋もれていた。
今回の芸術祭ではその一部を掘り出し、その全面に自動車のフロントガラスを敷き占め、「水の記憶」を出現させたものだ。
新潟には水の記憶が数多くある。今回の芸術祭もこの記憶を呼び起こすことが一つの目的だろう。
こうした記憶は確実にみんなから薄れつつある。
この川については昨年春に紹介した。
今日は「水と土の芸術祭」の作品がある栗ノ木川排水機場の遺構を訪ねた。
栗ノ木川はかつて亀田郷の水を集めて通船川に合流し、信濃川に入る河川だった。芦沼と呼ばれたような亀田郷の排水は悪かった。
そのため、新潟市紫竹山地内に排水機場が昭和18年に着手され、昭和24年3月に完成した。排水量は毎秒40m3/sで当時は東洋一と言われた。
しかし、その後地盤沈下が進行し、さらに昭和39年6月に新潟地震に見舞われた。
この地震により栗ノ木川、通船川の堤防は壊滅的な被害を受け、この排水機場も被災した。
復旧に際しては、治水方式は変更され、栗ノ木川は鳥屋野潟を通じて信濃川に直接排水されることになった。
信濃川合流点には新たに「親松排水機場(排水量毎秒60m3)」が建設され、栗ノ木川排水機場は廃止された。
それから40年近くを経て、栗ノ木川排水機場は朽ち果て、現在では吸水口と船通しの一部が残っている。それも殆どが土の中に埋もれていた。
今回の芸術祭ではその一部を掘り出し、その全面に自動車のフロントガラスを敷き占め、「水の記憶」を出現させたものだ。
新潟には水の記憶が数多くある。今回の芸術祭もこの記憶を呼び起こすことが一つの目的だろう。
こうした記憶は確実にみんなから薄れつつある。
能代川の恵みに感謝し楽しむ会 ― 2009/08/09 20:00
今日は能代川のサケ広場で「能代川の恵みに感謝し楽しむ会」が催された。
昨年も紹介したが、毎年恒例で6回目となり、このサケ広場での開催は4回目となる。
昨年までは「能代川の鮎を喰らう会」という名であったが、今年からは少し上品にと、能代川の恵みに感謝をストレートに表現することになった。
これまで5回は夏の晴天に恵まれ、川風はあるものの暑い中で行われた。しかし、今年は8月4日に梅雨が空けたにも拘わらず、朝から雨となった。
このため、急遽新保大橋の下で開催することとなった。
雨の日に橋の下とは言いながら、高水敷での開催については安全性の面から問題が無い訳ではないが、この程度の雨であれば河川改修された能代川では大丈夫との判断であった。
会は能代川サケマス増殖組合が主催し、近隣の新保集落の人たち、能代川の活性化に関係した人たち、それに五泉市や新潟県の関係者が集まった。
組合長の開会挨拶、五泉市長、新潟県新潟地域振興局長の来賓挨拶、それに同局の新津地域整備部長の乾杯で宴会は始まった。
昨年も紹介したが、毎年恒例で6回目となり、このサケ広場での開催は4回目となる。
昨年までは「能代川の鮎を喰らう会」という名であったが、今年からは少し上品にと、能代川の恵みに感謝をストレートに表現することになった。
これまで5回は夏の晴天に恵まれ、川風はあるものの暑い中で行われた。しかし、今年は8月4日に梅雨が空けたにも拘わらず、朝から雨となった。
このため、急遽新保大橋の下で開催することとなった。
雨の日に橋の下とは言いながら、高水敷での開催については安全性の面から問題が無い訳ではないが、この程度の雨であれば河川改修された能代川では大丈夫との判断であった。
会は能代川サケマス増殖組合が主催し、近隣の新保集落の人たち、能代川の活性化に関係した人たち、それに五泉市や新潟県の関係者が集まった。
組合長の開会挨拶、五泉市長、新潟県新潟地域振興局長の来賓挨拶、それに同局の新津地域整備部長の乾杯で宴会は始まった。
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