紅葉の銀山川2011/10/17 18:00

昨日は世界遺産に登録された平泉で中尊寺と毛越寺を回った。
天気も良くなり、少し暑くなった中、中尊寺の金色堂まで上がってきた。紅葉はまだまだであった。毛越寺の庭園では一部のモミジが色づいてきた。
世界遺産に登録された効果もあってか、かなりの人出だった。
その後は、鳴子峡で一休みしてから銀山温泉に向かった。
鳴子峡に着いた頃は、日没に近かった。見頃にはまだ早かったが、緑からオレンジそして赤へとその変化は美しかった。しかし、薄暗くなってきていたので、もう少し日が高ければ背景の青空とのコントラストが見えただろうに、ちょっと残念であった。
銀山温泉に着いたのは6時頃でもうすっかり暗くなっていた。
銀山川の両側に立ち並ぶ旅館の光景が目に入ってきた。
銀山川は一級河川最上川の右支川で、この温泉街の下流には銀山川ダムもある。
その名は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来している。
銀山川の夜景
銀山温泉はかつては湯治場で、周辺の農民が稲刈りも終わった今頃に、米と味噌を持ち込み、長期間自炊しながら温泉で一年の疲れを癒したそうだ。
大正末期から昭和初期に、洋風の木造旅館が銀山川の両岸に建てられ、現在も昔ながらの独特な光景を見ることができる。
銀山川の水量もかなりあり、旅館に入ってもそのせせらぎの音は聞こえてくる。
風呂に入り、疲れを長時間のドライブの疲れを癒し、尾花沢牛を堪能した後に温泉街を散策した。
山の中で気温も下がってきたので、最後に旅館のすぐ前にある足湯で体を温めた。源泉は60度以上あるということで、最初に足を入れた時は熱くて、長く浸かってはいられなかったが、だんだん慣れてくると熱さも気持ちいい。そして最後には体全体が温まった。
さて、今日は朝から天気も良く、ドライブ日和だ。その前に昼間の温泉街を歩いた。
月曜日の朝にもかかわらず、多くの人が銀山川沿いをぶりしていて、昨日の夜は閉まっていた土産物屋にもお客が入っている。昨日は温泉街だけを歩いたが、その上流に行くと、紅葉が始まった山あいを流れる銀山川が美しい。
銀山川と足湯
「はいからさんのカリーパン」という看板につられ、カリーパンを買って川沿いのベンチに座り、ゆったりと川を眺めながら食べた。朝食を食べたばかりだが、美味しかった。
さらに上流にいくと「白銀の滝」がある。川沿いには散策路が整備され、銀山跡もあったが、時間もなかったのでその手前で折り返した。
最後に温泉街の入り口にある「白銀橋」たもとのおみやげ屋さんで、ずんだ餅を買って川を眺めながら食べた。
銀山川の紅葉
まだまだ見所もあり、もう少しゆっくりしていたいが、今日のお昼は米沢で米沢牛を食べたいと思っていたので、米沢に向かうこととした。
時間があれば、銀山川ダムも見てみたいと思ったが、残念だ。

やはらかに柳あをめる?北上川2011/10/16 18:00

昨日は仙台から、南三陸町の津波被災現場を視察してから、盛岡に向かった。
昨日の夕方から雨が降り続いたが、朝には何とか止んだ。
盛岡駅前のホテル周辺を散策した。盛岡駅前には北上川が流れている。
ホテルを出て、「不来方橋」を渡る。この下流ですぐに中津川が合流している。この中津川を遡ると「盛岡城跡公園」が左岸側にある。中津川はその外堀の役割を果たしていたのだろう。
城跡公園は後で車で行くことにして、北上川を遡ると次の橋は「開運橋」だ。橋のたもとで宝くじを売っていた。これはと思い、そのでスクラッチくじを買ったがはずれだった。残念!
開運橋から北上川を眺めると、手前にはキバナコスモスが咲き、対岸には柳の木が川岸に植えてあり、葉が揺れていた。
北上川の水辺
「やはらかに柳あをめる北上 きたかみの岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」
盛岡市は石川啄木の生地だ。啄木が見ていた水辺は今とはだいぶ異なっていただろう。どんなに形は変わろうとも、都市の中にこうした水と緑のネットワークがあることは、その都市に潤いを与え、人々の感性を豊かにしてくれるだろう。

杜の都 広瀬川2011/10/15 18:00

久しぶりにまとまった休みが取れたので、東北に行ってきた。
世界遺産になった平泉や紅葉の山々を巡る予定だったが、あいにくの雨だったので、仙台で一休みして昼食を取ってから、青葉城に行ってくることにした。
昼食は定番の牛タン定食とした。仙台駅近くの青葉通から一本入ったところにある有名店に行った。時間は12時半頃だったが、待つこともなく席に座ることができた。しかし、店の中は満席に近く、相席となった。
牛タン焼きに加えて、ちょっと贅沢をして牛タンのシチューを頼んた。
牛タンを堪能した後に、青葉城に向かった。その途中で広瀬川を渡る。
広瀬川
広瀬川は百万都市の中を流れている川でありながら、唄にも唄われる清流だ。また、付近の緑陰は深く、これが大都市の中とはうらやましい。
新潟市の真ん中には信濃川が流れているが、清流とは言い難く、その両岸には柳や桜が一列か2列あるのみだ。
そう言えば、この近くに仙台生まれの土井晩翠が晩年を過ごした住居(晩翠草堂)がある。20年近く前にそこを訪れたときに、素晴らしい掛け軸があった。
「酒という、文字を見るに、嬉しきに、そを飲めと言う人、神か仏か」
この辺りをゆっくり散策できれば良いのだが、今回は時間もないので、大橋を歩いて渡っただけだった。

吹ノ沢川の復旧状況2011/10/09 21:53

今日は三連休の中日だ。この連休は晴天に恵まれ、今日も秋晴れ。新潟市では新潟シティマラソンが開催された。この夏は豪雨のおかげでジョッギングする時間が取れず、秋のマラソン大会には一つもエントリーしなかった。
今日は運転免許の更新のため、聖籠町に行ったついでに足を伸ばして、関川村の荒川河川敷にある「関川コスモス園」に行ってきた。このコスモス園は道の駅「関川
のところにある。9月の連休に魚沼市の「上原コスモス園」に行ったが、天候のためかコスモスの生育は良くなかったので、こちらに来てみた。しかし、今度は見頃を過ぎていて満開とはいかず、ちょっと残念だ。
関川コスモス園
さて、今日の目的はこのコスモスの他にもう一つある。それは「吹ノ沢川」だ。この川は一級河川荒川の右支川で、上の写真に見える山の手前の谷間を流れる小河川だ。流域面積は6.45km2、流路延長は約3kmだ。
平成16年7月17日の豪雨では谷底全体が流路と化し、護岸が倒壊したり流失したりし、周辺の水田も被災した。この7月にも破堤があった五十嵐川で大災害があった7.13水害の4日後の大雨だった。
このため、災害関連事業で改修が行われた。この川のことは以前から知っていたが、これまで訪れたことがなかったので、改修が行われた区間を歩いてきた。 
国道113号から荒川に架かる小見橋を渡り、川を渡り終えたところですぐに右に折れると橋が架かっている。災害関連事業はこの橋の下流の荒川合流点から約2.1kmの区間で実施された。
しかし、橋からは川と水田が見えるのだが、そこに行く道が分からない。あちこち道を探して、ようやく林道を登って、谷間を降りたところに川があった。そこはもう改修区間の終点だった。
谷間を流れる吹ノ沢川
堤防の天端にがコンクリートが張ってある。谷底であり、河川幅を大きく取れないため、天端にコンクリートを張り、洪水時に溢れても壊れないようにしてある。谷底の小河川で改修を行う際にはこうした工法が採用されることが多い。「巻止めコンクリート」と呼ばれる。
吹ノ沢川の護床工
下流へ下っていくと、川底に奇妙な形のコンクリートブロックが置かれていた。山間の河川では急勾配で流れが速いため、川底が掘られないようにコンクリートブロックを置いて河床を守っていることが多い。しかし、このような形を見るのは初めてだ。かなり大きなブロックだが、洪水時には流されることもある。事実いつの豪雨でやられたかは分からないが、この大きなコンクリートブロックがひっくり返ったり、川底に突き刺さっているところがあった。水の力は恐るべしだ。
ひっくり返った護床工
今年7月の豪雨でも県内あちこちの河川で堤防が決壊したり、護岸が浸食されたりした。どんな強固な構造物であっても、100%安全ということはない。自然の力を侮ってはいけないことを改めて認識した。

登川でも左右岸で堤防決壊2011/09/03 18:00

もう7月の豪雨から1箇月以上が経った。
日本に台風12号が近づいており、新潟県でも湯沢町、特に清津川の流域で雨が降り続いている。
きょうは、今回の豪雨で左右岸で堤防決壊した登川を巡ってきた。
新潟を出ることは晴れていたが、登川に着く頃には雨が落ちるようになった。登川の水は濁っており、上流域の山のほうでは雨が降っているらしい。
右岸側の堤防決壊箇所は、魚野川との合流地点の直上流ですぐそこに魚野川が見えている。既に仮締切工事が完了し、澪筋も変わっているので、どのような状況で堤防決壊に至ったかは不明だが、決壊地点上流の堤防を見ると越流していたのではないかと思う。また、この地点は霞堤となっており、堤防の裏側にも水路があり、水位が上昇し、堤防が弱体化していたのではないかと思う。
登川右岸側の堤防決壊
上の写真は登川の第一橋梁(橋名を見るのを忘れました)から下流をみた写真だが、上流側に目を向けると、今度は左岸側が堤防決壊しており、こちらも仮締切工事は完了している。左岸側も越流が原因と考えられる。堤防の一部が低かったからだろうか?こちらの堤内地側は水田となっており、大量の土砂で埋まっていた。
登川左岸側の堤防決壊
上流の山々は雨に煙っている。これ以上雨が降り続かなければよいのだが。