五十嵐川と常盤橋2009/07/13 21:01

新しくなった常盤橋
今日は平成16年に発生した7.13新潟豪雨からちょうど5周年になる。
この豪雨では新潟県中越地方を中心に日雨量が400mmを超えた。
このため、中越地方の多くの河川が氾濫し、被害が発生した。
特に三条市を流れる五十嵐川、中之島町(現長岡市)と見附市の間を流れる刈谷田川では溢水により堤防が決壊した。これにより三条市では9名、中之島町では3名の方が亡くなられた。
今日は三条市と長岡市中之島地区で慰霊祭が行われた。
五十嵐川では改修と同時に架け替えが行われていた常盤橋(ときわばし)が竣工し、開通式が行われた。
常盤橋は主要地方道長岡見附三条線の橋梁で、新潟県が管理している。これまでは歩道のない狭い橋だったため、五十嵐川災害復旧助成事業と街路事業との合併で両側に歩道のある橋に架け替えられた。
元々の常盤橋はコンクリートの床版橋であったが、親柱と高欄は御影石調の石橋風であった。
そのため新しい橋の親柱は以前のものと同じ作りとなっていた。高欄は鋼製となっていたが、御影石調の塗装が施してあった。
一見は以前の橋と同じように見えるが、やはり重厚さが違う。担当者の努力に敬意を表するが、昔できたものが今はなぜできないのか。
今は何においても経済性が要求され、景観法が成立したにも関わらず文化性はおろそかにされている。
さて、橋は10時から式典が行われ、午後2時に一般に開放された。
開放直後に常盤橋を訪れた。
常盤橋は架け替え前は一方通行であったが、橋からは両側通行となった。しかし、右岸側取り付け道路は狭いままであるのでここで渋滞となっていた。
この取り付け道路の拡幅はこれから街路事業で2期工事として実施されるそうだ。

五十嵐川水害復興記念公園と慰霊碑2009/07/13 21:49

慰霊碑
常盤橋を後にして、今度は5年前に破堤した地点(三条市諏訪地内)を訪ねた。
5年前の午後1時過ぎ、ここでは堤防を溢水した洪水流が堤防の裏法を削り、破堤に至った。
これにより嵐南地区と呼ばれる五十嵐川左岸側では約7千戸が床上・床下浸水し、9名の方が亡くなった。
この破堤地点付近は改修がすっかり終わっていた。そして、破堤地点は「五十嵐川水害復興記念公園」として整備されていた。そこには写真のような慰霊碑が設置されていた。
5年前、私がこの地点を訪れたのは破堤した翌日の7月14日であった。その時の姿からは今の姿を想像することはできない。
破堤地点から眺めた堤内地の姿は悲惨であった。田畑は流出し、住宅は泥に埋まり、自動車も流されて田んぼに埋まっていた。さらには新築したばかりの家が土台からずれているものもあった。
今では美田になり、住宅地は復旧さえ、新しい住宅も増えていた。
ここでは1時30分から慰霊祭が開催された。
訪れたときには慰霊祭も終わり、仮設テントの取り壊しも始まって、もう住民も殆どいなかった。
五十嵐川災害復旧助成事業で残るメニューは信濃川合流点にある嵐川橋並びに島田川と新通川の排水機場である。これも今年中には竣工するそうだ。
これにより、新潟県内で一番危険と言われていた五十嵐川の治水安全度は飛躍的に向上する。
しかし、これで絶対安全と言うことはない。
それはこれからは地域住民がどうやって五十嵐川と向き合うかに懸かっている。