能代川と市民農園 ― 2008/07/13 10:31
能代川は五泉市の上戸倉(旧村松町)に流れを発し、五泉市、旧新津市を流れて小阿賀野川に合流する一級河川だ。流路延長は30km余り、流域面積は約140km2の中小河川だ。
昔から洪水と戦ってきた河川であり、蛇行もひどく、「九十九曲がり川」とも呼ばれていた。
昭和21年から河川改修が進められ、蛇行は解消されてきた。しかし、近年でも度々洪水に見舞われ、平成12年7月の集中豪雨では中流部の五泉市内で溢水し、これをきっかけに災害復旧助成事業が始められ、り最後まで残っていた3カ所の屈曲部が解消された。
これらの河川改修により、単断面の河川から複断面となり、新たに広大な高水敷が生まれた。また、堤防は舗装され、「能代川りんりんロード」と名付けられた自転車道として整備された。
能代川では整備された自転車道と高水敷を利用して、市民に親しまれる「ふるさとの川」とするための取り組みが行われている。
写真にある市民農園もその一つだ。新潟市秋葉区(旧新津市)の金盛橋と柄目木大橋の間の右岸側にある。2年前に30区画ほどでスタートしたが、現在では90区画以上となっていて、その殆どが近くの市民にに貸し出されている。
昨日はその一角で「ジャガイモ収穫祭」があったので参加してきた。市民団体である「川を活かす会」が数区画を借りて、様々な野菜を育てているだ。秋には「大根収穫祭」も行っている。
能代川では、この他にも自転車道を利用した少年駅伝大会やサイクリングラリー、高水敷を利用したビオトープづくりや鮭公園整備など様々な活動が行われている。
そういえば、今日は平成16年7月の新潟豪雨からちょうど4年目を迎える。そのとき能代川流域でも平成12年と同じ様な雨が降ったが、災害復旧助成事業での改修が進んでいて、その時にような大きな被害は発生しなかった。
4年前で多くの犠牲者を出し、甚大な被害があった五十嵐川や刈谷田川でも災害復旧助成事業により河川改修が進められている。
これらの川が能代川と同様に安全な川となり、また同時に市民に愛される川となってもらいたい。
昔から洪水と戦ってきた河川であり、蛇行もひどく、「九十九曲がり川」とも呼ばれていた。
昭和21年から河川改修が進められ、蛇行は解消されてきた。しかし、近年でも度々洪水に見舞われ、平成12年7月の集中豪雨では中流部の五泉市内で溢水し、これをきっかけに災害復旧助成事業が始められ、り最後まで残っていた3カ所の屈曲部が解消された。
これらの河川改修により、単断面の河川から複断面となり、新たに広大な高水敷が生まれた。また、堤防は舗装され、「能代川りんりんロード」と名付けられた自転車道として整備された。
能代川では整備された自転車道と高水敷を利用して、市民に親しまれる「ふるさとの川」とするための取り組みが行われている。
写真にある市民農園もその一つだ。新潟市秋葉区(旧新津市)の金盛橋と柄目木大橋の間の右岸側にある。2年前に30区画ほどでスタートしたが、現在では90区画以上となっていて、その殆どが近くの市民にに貸し出されている。
昨日はその一角で「ジャガイモ収穫祭」があったので参加してきた。市民団体である「川を活かす会」が数区画を借りて、様々な野菜を育てているだ。秋には「大根収穫祭」も行っている。
能代川では、この他にも自転車道を利用した少年駅伝大会やサイクリングラリー、高水敷を利用したビオトープづくりや鮭公園整備など様々な活動が行われている。
そういえば、今日は平成16年7月の新潟豪雨からちょうど4年目を迎える。そのとき能代川流域でも平成12年と同じ様な雨が降ったが、災害復旧助成事業での改修が進んでいて、その時にような大きな被害は発生しなかった。
4年前で多くの犠牲者を出し、甚大な被害があった五十嵐川や刈谷田川でも災害復旧助成事業により河川改修が進められている。
これらの川が能代川と同様に安全な川となり、また同時に市民に愛される川となってもらいたい。
猿橋川 ― 2008/07/05 21:00
ゆっくりと歩く時間がなかったが、今日は小千谷に行った帰りに猿橋川の下流部を車で回ってきた。
猿橋川は長岡市の東山山地から流れ出て、大河津分水路洗堰直下で信濃川に合流する、流域面積約70平方キロメートル、幹線流路延長約21キロメートルの一級河川だ。
その中流には「八丁沖(潟)」があった。八丁沖は長岡城の北東部に広がる沼沢地で、戊辰の役で一度落城した長岡城を奪還するために長岡藩の河合継之助が渡ったことで有名だ。
この沼沢地の排水を良くするために、信濃川との合流点は2回、下流に付け替えられ、八丁沖は美田となっている。しかし、平成16年7月の豪雨であちこちで溢水し、流域に大きな被害を被り、八丁沖も一時的にその姿を見せた。このため猿橋川の中・上流部やその支川では、災害復旧助成事業で改修が行われている。
また、流路付け替えのため、下流部は信濃川に並行して流れている区間が長い。写真の右側は信濃川本堤で、左側が猿橋川だ。国土交通省管理の信濃川本堤は草刈りが行き届き、きれいに管理されている。だが猿橋川は新潟県管理で草刈りはされていない。
しかし、どこでも直轄管理と県管理の河川とで管理の差は歴然としている。県も市町村も財政難で道路や河川の管理に四苦八苦しているが、国はまだ余裕があるようだ。
今はネムノキの花がきれいに咲いている。
猿橋川は長岡市の東山山地から流れ出て、大河津分水路洗堰直下で信濃川に合流する、流域面積約70平方キロメートル、幹線流路延長約21キロメートルの一級河川だ。
その中流には「八丁沖(潟)」があった。八丁沖は長岡城の北東部に広がる沼沢地で、戊辰の役で一度落城した長岡城を奪還するために長岡藩の河合継之助が渡ったことで有名だ。
この沼沢地の排水を良くするために、信濃川との合流点は2回、下流に付け替えられ、八丁沖は美田となっている。しかし、平成16年7月の豪雨であちこちで溢水し、流域に大きな被害を被り、八丁沖も一時的にその姿を見せた。このため猿橋川の中・上流部やその支川では、災害復旧助成事業で改修が行われている。
また、流路付け替えのため、下流部は信濃川に並行して流れている区間が長い。写真の右側は信濃川本堤で、左側が猿橋川だ。国土交通省管理の信濃川本堤は草刈りが行き届き、きれいに管理されている。だが猿橋川は新潟県管理で草刈りはされていない。
しかし、どこでも直轄管理と県管理の河川とで管理の差は歴然としている。県も市町村も財政難で道路や河川の管理に四苦八苦しているが、国はまだ余裕があるようだ。
今はネムノキの花がきれいに咲いている。
西川Part3(その2) ― 2008/06/22 21:10
見頃のアジサイを見ながら、上流に向かう。
JR越後線を越えて、しばらく行くと西蒲原の田園地帯に出る。この辺になると角田山が間近に見えてくる。
角田山は481.7mの身近な里山だ。登山コースは何本もあり、四季折々に植物を楽しむことができる。
角田山には5月の中頃に登ってきたところだ。初心者コースである五ヶ峠から登り、頂上でお昼を食べて、桜尾根から角田浜に降りた。
この季節はカタクリや雪割草などの可憐な花は終わっていたが、タニウツギのピンク色の花があちこちで見られた。
さて、西川をさらに上流に向かうと巻の市街地が見えてきた。ここには西蒲区の区役所がある。
JR越後線を越えて、しばらく行くと西蒲原の田園地帯に出る。この辺になると角田山が間近に見えてくる。
角田山は481.7mの身近な里山だ。登山コースは何本もあり、四季折々に植物を楽しむことができる。
角田山には5月の中頃に登ってきたところだ。初心者コースである五ヶ峠から登り、頂上でお昼を食べて、桜尾根から角田浜に降りた。
この季節はカタクリや雪割草などの可憐な花は終わっていたが、タニウツギのピンク色の花があちこちで見られた。
さて、西川をさらに上流に向かうと巻の市街地が見えてきた。ここには西蒲区の区役所がある。
西川Part2(その3) ― 2008/06/14 21:20
西川沿いには様々な看板が立っている。
特に目立つのは、「中野小屋地区西川を守る会」の看板だ。この会がどのような会で、現在どのような活動をしているのか分からない。看板も新しいものではない。
中野小屋(なかのごや)は新潟市西地区の西川沿いの代表的な集落(大字)で地区名ともなっていて、中学校もここにある。
写真にある看板の標語は中野小屋中学校の生徒が考えたものだ。
「川の汚れは心の汚れ 清き流れを今ここに」
この看板が何年前に立てられたか分からないが、この標語を考えた生徒はもう既に成人しているだろう。子供もいるかもしれない。今は西川とどのような関わりを持っているのだろうか。
今の西川を見てどのように思っているだろうか。川の中のペットボトルなどのゴミを見ると、当時に比べて決して汚れが改善しているとは思われない。
標語はこの他にも次の様なものがある。
「その川は あなたの心を映す鏡」
「川をごみ箱にしていると いつかあなたに仕返しが」
「みんなで守ろう知恵の川 守ろう わが西川」
「一回だけ その一度が汚している」
みんながこのような心を持ち続け、子供に伝えていけば川はきれいになるはずなのだが。
特に目立つのは、「中野小屋地区西川を守る会」の看板だ。この会がどのような会で、現在どのような活動をしているのか分からない。看板も新しいものではない。
中野小屋(なかのごや)は新潟市西地区の西川沿いの代表的な集落(大字)で地区名ともなっていて、中学校もここにある。
写真にある看板の標語は中野小屋中学校の生徒が考えたものだ。
「川の汚れは心の汚れ 清き流れを今ここに」
この看板が何年前に立てられたか分からないが、この標語を考えた生徒はもう既に成人しているだろう。子供もいるかもしれない。今は西川とどのような関わりを持っているのだろうか。
今の西川を見てどのように思っているだろうか。川の中のペットボトルなどのゴミを見ると、当時に比べて決して汚れが改善しているとは思われない。
標語はこの他にも次の様なものがある。
「その川は あなたの心を映す鏡」
「川をごみ箱にしていると いつかあなたに仕返しが」
「みんなで守ろう知恵の川 守ろう わが西川」
「一回だけ その一度が汚している」
みんながこのような心を持ち続け、子供に伝えていけば川はきれいになるはずなのだが。
西川Part2(その2) ― 2008/06/14 21:10
新川と西川の立体交差の話は既に書きましたが、最近、水路橋の脇にこれらの歴史を記した案内板が設置されました。
前回はこのことを紹介するのを忘れたのであらためて紹介した次第です。
今回の西川歩きはこの案内板が起点です。
ここから水路橋に設置してある管理用の歩道を渡り、すぐ上流にある高山小橋を目指しました。
だが、西川沿いを歩くことができず、新川沿いを少し上流に行き国道に出てから高山小橋に行きました。
さらにその先も西川沿いを歩けず、笠木集落まで困難な道のりが待っていました。
前回はこのことを紹介するのを忘れたのであらためて紹介した次第です。
今回の西川歩きはこの案内板が起点です。
ここから水路橋に設置してある管理用の歩道を渡り、すぐ上流にある高山小橋を目指しました。
だが、西川沿いを歩くことができず、新川沿いを少し上流に行き国道に出てから高山小橋に行きました。
さらにその先も西川沿いを歩けず、笠木集落まで困難な道のりが待っていました。

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