新津川と石油 ― 2009/02/04 21:00
新津川はもともとは能代川本川であった。新津市街地の中心部を流れていた能代川は川幅が狭く、豪雨の度に氾濫を繰り返していた。
昭和22年から本格的な改修が始められ、昭和58年には市街地を迂回する捷水路が完成し、本川は新津川と名前が改められた。
捷水路完成後の新津川は水量も減り、水質が悪くなり葦藪となってしまった。このため、平成5年から新津川の環境整備事業が始まり、ほぼ全川が整備された。
この新津地区は戦前の一時期、石油景気で湧きあがったことがある。能代川沿いには数多くの石油採掘の櫓が立ち並んでいたという。平成5年当時には櫓が一本だけ残っていたが、今はなくなってしまった。
しかし今でもあちこちで石油がいまだに自噴し、新津川に流れ込んでいる。そのため、新津川にはいつも油膜が見られる。
平成16年10月の中越地震の10日くらい前には新津川のすぐ脇で、石油を採掘していた跡から石油が自噴して、新津川に大量に流れ込んだ。その当時、これは地震の予兆現象だったのかと騒がれた。そして、新津川自体の河底からも新たに石油が湧き出した。未だに湧き出しとは言わないまでも、川底から石油が浸み出している。
昭和22年から本格的な改修が始められ、昭和58年には市街地を迂回する捷水路が完成し、本川は新津川と名前が改められた。
捷水路完成後の新津川は水量も減り、水質が悪くなり葦藪となってしまった。このため、平成5年から新津川の環境整備事業が始まり、ほぼ全川が整備された。
この新津地区は戦前の一時期、石油景気で湧きあがったことがある。能代川沿いには数多くの石油採掘の櫓が立ち並んでいたという。平成5年当時には櫓が一本だけ残っていたが、今はなくなってしまった。
しかし今でもあちこちで石油がいまだに自噴し、新津川に流れ込んでいる。そのため、新津川にはいつも油膜が見られる。
平成16年10月の中越地震の10日くらい前には新津川のすぐ脇で、石油を採掘していた跡から石油が自噴して、新津川に大量に流れ込んだ。その当時、これは地震の予兆現象だったのかと騒がれた。そして、新津川自体の河底からも新たに石油が湧き出した。未だに湧き出しとは言わないまでも、川底から石油が浸み出している。
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