西川Part2(その4) ― 2008/06/15 21:30
今日の目的地の越後曽根までもう少しという所の西川右岸側に善光寺という集落があり、そこに「越後善光寺」がある。その前の西川には善光寺橋も架かっている。
このお寺は弘治元年(1555年)に大関阿波守盛憲が開いたとされる名刹だ。大関氏は上杉家の家臣で、その子である親憲は上杉家とともに会津、米沢と移っており、来年の大河ドラマの主人公である直江山城守兼続と共に軍奉行を努めたこともあるという。
このお寺の如来堂には長野の善光寺の本尊と同体の木像「善光寺式阿弥陀如来三尊像」を安置してあり、そのため越後善光寺として知られている。
善光寺は男女を分かたず、昼夜を問わず、宗派を超えて開放され、信者を受け入れて庶民の心の拠り所となってきました。そのためその信仰は全国に広がり、全国には443の善光寺仏があり、「善光寺」を正式な寺名とする寺院は119ヵ寺にものぼり、新潟県内にも善光寺と名の付くお寺は5つもあるとのことです。
さて、この越後善光寺の正面は西川を向いていて、参道は西川堤防に繋がっている。創建は1555年であり、その頃は西川は「信濃西川」と呼ばれていた。
また、西川沿いの集落毎にある諏訪宮などの神社も西川に向かって鎮座されている。これらの神社がいつ創建されたかは不明であるが、西川が蒲原平野の人と文化の一大動脈だったことを裏付けているのではないかと思う。
このお寺は弘治元年(1555年)に大関阿波守盛憲が開いたとされる名刹だ。大関氏は上杉家の家臣で、その子である親憲は上杉家とともに会津、米沢と移っており、来年の大河ドラマの主人公である直江山城守兼続と共に軍奉行を努めたこともあるという。
このお寺の如来堂には長野の善光寺の本尊と同体の木像「善光寺式阿弥陀如来三尊像」を安置してあり、そのため越後善光寺として知られている。
善光寺は男女を分かたず、昼夜を問わず、宗派を超えて開放され、信者を受け入れて庶民の心の拠り所となってきました。そのためその信仰は全国に広がり、全国には443の善光寺仏があり、「善光寺」を正式な寺名とする寺院は119ヵ寺にものぼり、新潟県内にも善光寺と名の付くお寺は5つもあるとのことです。
さて、この越後善光寺の正面は西川を向いていて、参道は西川堤防に繋がっている。創建は1555年であり、その頃は西川は「信濃西川」と呼ばれていた。
また、西川沿いの集落毎にある諏訪宮などの神社も西川に向かって鎮座されている。これらの神社がいつ創建されたかは不明であるが、西川が蒲原平野の人と文化の一大動脈だったことを裏付けているのではないかと思う。
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