鷲の木大通川の岬2009/09/21 18:23

鷲の木大通川の分派点
今日は久しぶりに「水と土の芸術祭」の作品巡りをした。
今日で3回目で、新潟市南区と秋葉区の作品を見て回った。
まず最初に見たのは、鷲の木大通川の脇にある「未来(渡部彦夫作)と「岬(当蔵アトリエ作)の二つの作品だ。
作品の一つの名前が示しているように、この場所は鷲の木大通川が二つに分派し、岬のようになっている。
鷲の木大通川は、かつては大河信濃川とその派川である中之口川に囲まれた輪中である白根郷唯一の排水河川であった。
信濃川と中之口川が再び合流する地点でこの川も合流しており、三川合流と呼ばれている。
鷲の木大通川が白根郷唯一の排水河川であったが、信濃川と中之口川の水位が高く、また地盤沈下も進んだことから白根郷は排水不良に悩まされていた。
排水改良のため、白根郷には農地サイドで排水機場がいくつも整備された。
鷲の木大通川自体にも白根排水機場が設けられた。
この排水機場は新潟県内の他の低平地河川と同じように、本来の合流点の上流側から水路を掘削して分派させて、本川にポンプで排水させるようになっている。
本来の合流点には水門が設けられているが、管理用以外には開けられることはない。
写真左側は分派点から上流を撮ったもので、左に行くと本来の鷲の木大通川であり、右に行くと新たに開削された水路で排水機場につながっている。
左側上の写真は鷲の木大通川であり、ここにも逆流防止の堰があり、下流側の水位を一定に保っている。
水位を一定に保っているのはその下流側が河川公園となっているからだ。
今日は分派点にある作品を見ただけであるが、今度はゆっくりと鷲の木大通川を歩くことにしたい。

新川と鎧潟跡2009/09/27 21:25

潟の痕跡と角田山(川は飛落川)
今日も「水と土の芸術祭」作品見学を兼ねて、川めぐりをした。
今回は5月に下流部を歩いた新川を再び訪れ、残る区間をめぐり、鎧潟の跡まで行った。
田潟橋から鎧潟跡までの区間は田んぼ中で単調であるので、車一台がようやく通れる堤防道路を車でゆっくりと巡った。
周囲は見渡す限りの田園であり、所々に人家があるが集落といえるものはない。
このことはこのあたりは昔から低平地で人が住める所ではなかったことを物語っているのだろう。
この点は既に紹介した西川とは異なる。西川の両側には大きな集落が貼り付いていた。
遠くには角田山がぼんやりと見えている。この点は西川と同じである。
さて、アート作品は鎧潟の跡にある。
跡にあると言うよりは、「わずかに残された潟の痕跡を探しポール立て、この地区の昔の自然資源と干拓前の暮らしを考える」ものであり、鎧潟の跡を再現している。
その名もずばり「ここに鎧潟ありき。」である。
1820年に新川が開削された後、下流の田潟、大潟は干拓が進んだが、鎧潟は依然として残されたままであった。
そのため昭和34年から国営の鎧潟干拓工事が始まり、41年には全面的に干拓された。
この作品は270ha以上あった当時の潟の痕跡を示したものだが、あまりに広く茫漠としていた。
鎧潟クリーンセンターの展望台から眺めて当時の潟の姿を想像した。
今は、稲刈りの時期を迎え、コンバインが動く姿があちこちに見られるが、潟周辺の人々と潟とのつながりが確かにあった。
この干拓により美田となったが、現在の農業の姿を見ているとそれが良かったのかどうか分からない。