新川2009/05/23 21:00

新川元橋から上流を臨む
今回は新川の川歩きをした。内野の新川元橋から上流の田潟橋までの間である。
新川は既に紹介したように西川と交差する川であり、現在は新川の上を鉄製の水路橋(西川)が架かっている。
新川は文字通り「新しい川」であり、人工河川(放水路)である。
新しいと言っても、完成したのは江戸時代の後期、文政3(1820)年であり、200年近くがすでに経っている。
この川は多くの潟が広がる排水の悪い西蒲原地区の排水を良くするために近郷の庄屋が尽力し、幕府の許可を得て文化15(1818)年2月に着工された。
西川の川底に底樋(そこひ)を埋設し、西川と交差させ、内野村の金蔵坂砂丘を掘り割って五十嵐浜へ放出させるという難工事であったが、文政3(1820)年1月に完成し、工事期間は2年足らずだった。
新川が出来た後には周辺の潟の多くが干上がり、17もの新田村が誕生したと言う。
昭和45年には河口に新川河口排水機場が完成した。この排水機場の総排水量は240m3/sであり、完成当時は東洋一と言われた。
蒲原平野にはこれまでに19本もの放水路が造られてきた。その中でも3番目に古い時代のものであり、機械力を使わないものとして最大の難工事であるとともに、西川と交差させるために底樋を造るなど技術力も高いものであった。
これが農民の力で造られたことに感心する。まさに米作りへの執念の結果である。
新潟の米作りはこうした先人たちの血と汗の結晶との思いを新たにした。

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