集落を濁流が呑み込む 阿賀野川 ― 2011/08/20 18:00
阿賀野川も7月の豪雨で水位が上昇し、川沿いの集落を濁流が呑み込んだ。
誰もが知る大河川だが、その山間部は県で管理している。
今日は福島県境から直轄区間界の阿賀野川頭首工までの新潟県が管理している区間を回ってきた。
戦後最大の出水で、川沿いの集落はあちこちで浸水していた。河川からの氾濫水だけではなく、阿賀野川に内水が排水出来ないことで浸水している集落もあった。
その中でも、阿賀町三川地区(旧三川村)の川口地区や吉津地区はほぼ100%の家屋が床上浸水となった。
下の写真は川口地区につながる道路で、下り坂の先が川口地区となっている。ガードレールにゴミが引っかかっており、ここまで水位が上昇したことが分かる。水面ははるか下だ。洪水から3週間を経ているが、未だに水は濁っている。
誰もが知る大河川だが、その山間部は県で管理している。
今日は福島県境から直轄区間界の阿賀野川頭首工までの新潟県が管理している区間を回ってきた。
戦後最大の出水で、川沿いの集落はあちこちで浸水していた。河川からの氾濫水だけではなく、阿賀野川に内水が排水出来ないことで浸水している集落もあった。
その中でも、阿賀町三川地区(旧三川村)の川口地区や吉津地区はほぼ100%の家屋が床上浸水となった。
下の写真は川口地区につながる道路で、下り坂の先が川口地区となっている。ガードレールにゴミが引っかかっており、ここまで水位が上昇したことが分かる。水面ははるか下だ。洪水から3週間を経ているが、未だに水は濁っている。

この道を下ると川口集落に入る。写真の家屋はだぶん7年前の水害を経験して、高床式に改築したのだろう。しかし、今回の洪水では床上浸水となった。母屋の隣の納屋の壁面に濁流の痕跡が残っている。

今回の洪水では住宅地だけではなく、川沿いの温泉宿も襲っている。
阿賀野町の麒麟山温泉、五泉市の咲花温泉だ。
下の麒麟山温泉の旅館の1階部分が浸水したそうだ。
阿賀野町の麒麟山温泉、五泉市の咲花温泉だ。
下の麒麟山温泉の旅館の1階部分が浸水したそうだ。

次の写真は咲花温泉の旅館で、1m50cm程度の浸水となった。

どちらの温泉地も旅館からの大河阿賀野川の眺望を売りにしているだけに、今後の治水対策も困難なものになるだろう。
濁流が市街地を襲う 晒川 ― 2011/08/06 18:00
晒川は十日町市の市街地を流れる信濃川水系の小河川だ。
小河川と言っても、その上流にダムが計画されている。
小規模貯水池で治水目的の他に、克雪用水があり、流雪溝用水を供給する計画だ。今年の冬も大雪だったが、ここ十日町は豪雪で知られ、毎年2月中旬には雪祭りが開催される。十日町駅から雪祭りの会場に行く際には、この川に架かる橋を渡る。
しかし、このダムは本体未着工ということで、先に紹介した常浪川ダムと同様にダム検証が行われた。新潟県で実施されたダム検証委員会では7月28日に提言が出され、常浪川ダムとこの晒川ダムは中止とされた。しかし、その前日の27日から30日に掛けて、新潟県では豪雨となり、県内各地で洪水となった。
常浪川では溢水までは至らなかったが、水位の高い状態が続き、内水被害が発生した。
ここ晒川では、29日夕方に時間120mmの豪雨となり、上流域で山腹崩壊と河岸浸食があり、市街地部の勾配が緩くなる地点で大量の土砂と流木を置いていき、更には市街地にも土砂と濁流が流れ出した。
晒川沿いの住宅や店舗では1メートル以上の浸水となった。
小河川と言っても、その上流にダムが計画されている。
小規模貯水池で治水目的の他に、克雪用水があり、流雪溝用水を供給する計画だ。今年の冬も大雪だったが、ここ十日町は豪雪で知られ、毎年2月中旬には雪祭りが開催される。十日町駅から雪祭りの会場に行く際には、この川に架かる橋を渡る。
しかし、このダムは本体未着工ということで、先に紹介した常浪川ダムと同様にダム検証が行われた。新潟県で実施されたダム検証委員会では7月28日に提言が出され、常浪川ダムとこの晒川ダムは中止とされた。しかし、その前日の27日から30日に掛けて、新潟県では豪雨となり、県内各地で洪水となった。
常浪川では溢水までは至らなかったが、水位の高い状態が続き、内水被害が発生した。
ここ晒川では、29日夕方に時間120mmの豪雨となり、上流域で山腹崩壊と河岸浸食があり、市街地部の勾配が緩くなる地点で大量の土砂と流木を置いていき、更には市街地にも土砂と濁流が流れ出した。
晒川沿いの住宅や店舗では1メートル以上の浸水となった。


それから1週間が経ち、河道に溜まった土砂や流木の撤去作業は進んでいたが、住宅の中の土砂撤去は進んでおらず、今日も多くのボランティアが作業していた。
こうした被害を受け、地域住民からはダム中止に対して異論も出始めている。
新潟県ではダム検証委員会を再度開催することを決めたようだ。
こうした被害を受け、地域住民からはダム中止に対して異論も出始めている。
新潟県ではダム検証委員会を再度開催することを決めたようだ。
五十嵐川 刈谷田川 再び濁流が襲う ― 2011/08/04 20:56
平成16年7月13日に新潟県の中越地方を中心に豪雨となり、6河川の11箇所で破堤した。特に五十嵐川と刈谷田川では市街地部で破堤し、濁流が市街地を襲い、逃げ遅れたり、避難の途中で12名もの方が亡くなった。
それから7年が経ち、この水害をきっかけに始められた河川改修もようやく完成したばかりだった。
しかし、この7月27日から30日までの豪雨で、その五十嵐川と刈谷田川を始めとして、北は阿賀町から南は上越市までの広い範囲の河川で溢水し、施設も被災した。
五十嵐川にある笠堀ダムや大谷ダムは満杯となり、洪水調節機能は失われ、30日の朝5時頃に上流の江口地内(旧下田村)で破堤した。花江大橋右岸の下流部で溢水し約300mの堤防が決壊し、集落を水が襲った。
それから7年が経ち、この水害をきっかけに始められた河川改修もようやく完成したばかりだった。
しかし、この7月27日から30日までの豪雨で、その五十嵐川と刈谷田川を始めとして、北は阿賀町から南は上越市までの広い範囲の河川で溢水し、施設も被災した。
五十嵐川にある笠堀ダムや大谷ダムは満杯となり、洪水調節機能は失われ、30日の朝5時頃に上流の江口地内(旧下田村)で破堤した。花江大橋右岸の下流部で溢水し約300mの堤防が決壊し、集落を水が襲った。

7年前の破堤は下流の市街地部で、9名もの方々が亡くなられた。そして7千戸以上の家屋が浸水するという甚大な被害となった。今回の破堤でも多くの家屋が浸水したが、幸いにして亡くなられた方はなかった。
また、同じく7年前に市街地部で破堤して、3名の方々が亡くなった刈谷田川では破堤がなかった。この川でも河川改修が実施され、中流部では遊水地が設けられた。この遊水地は昨年完成したばかりで、2年目にして5つある遊水地の越流堤から濁流が水田に流れ込んだ。そのおかげで下流の市街地は守られ、前回のような被害は無かった。

今回の豪雨では、五十嵐川上流部の雨量観測所で累計約1,000mmの降雨があった。これまで1,000mmという雨は、九州、四国、紀伊半島、東海などでのことで、新潟にはあり得ないと思っていた。7年前の豪雨では約500mmで、それでも記録的降雨であった。今回のその2倍。3.11以来、想定外という言葉が流行った。技術者としては、むやみにこの言葉を使いたくないが、これまでの記録の2倍という降雨に計画を上回るという言葉だけでは足りない。はやり「想定外」としか言いようがない。
常浪川 ダムは? ― 2011/06/05 18:00
今年の川歩きは阿賀野市から始めた。
今日は東蒲原郡阿賀町の常浪川を歩いた。阿賀町は津川町、鹿瀬町、三川村、上川村が平成17年4月に合併して誕生した。
東蒲原郡は福島県との県境に位置し、江戸時代には会津藩だった。津川町の「津」は港を意味し、阿賀野川の川港だった。日本海側の物資は阿賀野川を通じて津川までは舟運で、その後は陸路で会津まで運ばれた。
さて、常浪川は旧上川村を流れる一級河川で阿賀野川の支川で、ダムなどの大きな横断構造物がなく、流域の人口も少なく清流として知られる。
今日は東蒲原郡阿賀町の常浪川を歩いた。阿賀町は津川町、鹿瀬町、三川村、上川村が平成17年4月に合併して誕生した。
東蒲原郡は福島県との県境に位置し、江戸時代には会津藩だった。津川町の「津」は港を意味し、阿賀野川の川港だった。日本海側の物資は阿賀野川を通じて津川までは舟運で、その後は陸路で会津まで運ばれた。
さて、常浪川は旧上川村を流れる一級河川で阿賀野川の支川で、ダムなどの大きな横断構造物がなく、流域の人口も少なく清流として知られる。

6月の始め、梅雨前のこの時期は新潟ではもっともに過ごしやすく、山も新緑でタニウツギが川面に咲いている。この辺りは阿賀町室谷地区で山菜の宝庫であり、昔は山菜採りで生計を立てていた。いまでも道路沿いのあちこちに「入山禁止」や「山菜採り禁止」の看板がある。また、室谷集落の入り口を通ったときには山菜採りの入山者から入山料を徴収していた。実際に川沿いを歩くとあちこちにワラビが自生していた。先週行った大須戸川ではワラビを多少取らしてもらったが、今日は自制した。


本体着工に至っていないと言うことでピンと来た人もおられるかと思うが、事業主体の新潟県では昨年秋からダム検証を行っていて、この夏には結論がでるとのことだ。
先に流域には人口が少ないと書いたが、谷底の平地は少なく川沿いにも集落が多く、過去に水害で悩まされている所もある。たとえば下流の広瀬集落ではこれ以上川幅を広げることができず、現在でもパラペット(コンクリート擁壁)堤で人家もこれに接して立っている。
先に流域には人口が少ないと書いたが、谷底の平地は少なく川沿いにも集落が多く、過去に水害で悩まされている所もある。たとえば下流の広瀬集落ではこれ以上川幅を広げることができず、現在でもパラペット(コンクリート擁壁)堤で人家もこれに接して立っている。

せっかくここまで来たので、流域内にある「たきがしら湿原」に行ってきた。
ここは滝頭集落が集団離村した跡に人工的に作られた湿原であり、たいへん珍しく全国でも数例しかなく、水生・湿生植物、水生昆虫、野生動物、鳥類などが生息する貴重な場所だ。現在では、在来種と植栽された植物を合わせると70以上の種類が湿原の四季を彩るという。
そろそろニッコウキスゲの咲く時期だと思って来たが、まだ早くちらほらしか咲いていなかった。残念!
そろそろニッコウキスゲの咲く時期だと思って来たが、まだ早くちらほらしか咲いていなかった。残念!

大須戸川 災害からの復旧なる ― 2011/05/28 18:00
今日は足を伸ばして、県北の大須戸川まで行ってきた。
大須戸川は二級河川三面川の支川高根川の支川で、村上市朝日地区(旧朝日村)を流れている。この川は同市大須戸地区で平成17年8月11日の豪雨で破堤・氾濫による大水害となり、護岸が連続して被災した。
この災害を契機に、災害関連事業が実施され2年前に竣工した。被災した当時に何回か見に来たが、工事が始まって以来来ていなかったので久しぶりに訪れた。
災害関連事業では蛇行していた河川の線形を改良しており、これに当たりいくつかの工夫が見られた。
一つは残地として残り、田畑として利用できない箇所については写真の様に、地域の協力を得て、花壇として利用され、芝桜が咲いていた。またドウダンツツジも植えてあった。看板には「大須戸川環境整備美化活動~きれいな河川 きれいな集落 きれいな精神~」と書いてあった。
もう一つは、残地を利用して多自然かわづくりに取り組んでいる。写真のように旧河道の護岸を利用し、新たな護岸を旧護岸に取り付け、旧護岸の全面に覆土している。
大須戸川は二級河川三面川の支川高根川の支川で、村上市朝日地区(旧朝日村)を流れている。この川は同市大須戸地区で平成17年8月11日の豪雨で破堤・氾濫による大水害となり、護岸が連続して被災した。
この災害を契機に、災害関連事業が実施され2年前に竣工した。被災した当時に何回か見に来たが、工事が始まって以来来ていなかったので久しぶりに訪れた。
災害関連事業では蛇行していた河川の線形を改良しており、これに当たりいくつかの工夫が見られた。
一つは残地として残り、田畑として利用できない箇所については写真の様に、地域の協力を得て、花壇として利用され、芝桜が咲いていた。またドウダンツツジも植えてあった。看板には「大須戸川環境整備美化活動~きれいな河川 きれいな集落 きれいな精神~」と書いてあった。
もう一つは、残地を利用して多自然かわづくりに取り組んでいる。写真のように旧河道の護岸を利用し、新たな護岸を旧護岸に取り付け、旧護岸の全面に覆土している。


6年前に歩いたときは川沿いに栗の木が沢山あり、栗拾いをしたが、殆どが無くなっていた。河川改修で用地が必要とはいえ、少し残念だった。改修区間は2km余りで上流端は現河床と擦りつけてある。改修に当たり、河床高を下げたので高低差がかなりある。擦りつけは落差工ではなく、斜路となり全面魚道となっている。今日は遡上する魚を見ることはできなかったが、ちゃんと登っているのか心配だ。

擦りつけ部の上流は、部分的に被災し、部分的に災害復旧が行われていた。写真ではよく分からないが、護岸と農道代わりの管理用通路との間にはワラビが自生していた。所々にそうしたところがあり、少々頂いて一食分のおかずにさせてもらった。

さらに上流まで行くと、農業用ダムがあった。ここが大須戸川の法指定上の起点ではないのだが、事実上はここからが大須戸川と言ってよいだろう。雲行きも怪しくなってきたのでここから引き返すこととした。

今日の夕餉は村上市内で、村上牛を堪能したい。
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