今年も川歩きを始めました! スタートは阿賀野市の河川です2011/04/10 18:00

新潟は今年も大雪となったが、ようやく春が訪れだ。
また、3月11日には東日本大震災が発生し、新潟でも大きな揺れとなった。
そして、翌日の早朝、3時59分に長野県北部を震源とする地震が発生し、新潟県でも十日町市や津南町で震度6弱を観測した。
それから1箇月が経ったが、現地はまだ雪深く、河川の被害は不明です。雪融けとともに被害状況も分かってくると思うが、大きな被害がなければ良いのですが。
さて、今年も川歩きをスタートした。まずは、阿賀野市の河川だ。
阿賀野市は平成16年4月に北蒲原郡の安田町、水原町、京ヶ瀬村、笹神村の
4町村が合併して市制施行された市で、阿賀野川流域にあることからこの名前となった。上流には阿賀町があるが、こちらも4町村が合併して平成17年4月に誕生した。
阿賀野市は大河阿賀野川の右岸に広がり、東側は五頭連峰、南西側は阿賀野川、そして北側には福島潟がある。この辺りは昔は福島潟の流域でしたが、農地排水事業により、河川の付け替えが行われた。
今日の川歩きは旧水原町にある瓢湖を起点に、大通川、大荒川、新七浦川、七浦川、安野川、そして駒林川を巡るコースだ。
瓢湖は白鳥の越冬地として知られており、平成20年10月にラムサール条約にも登録されている。この時期は白鳥もシベリアに帰り、鴨が残っているだけで、桜の開花にも1週間ほど早く、訪れる人も少なくひっそりとしていた。
瓢湖
この瓢湖の脇を大通川が流れている。新潟県には「何とか大通川」という河川名が多くある。これまでもいくつか紹介してきた。意味合いは「幹線農業排水路」で、確かに水田地帯の河川に名付けられている。
この大通川も現在の水源は水田で、福島潟に合流している。現在はと言ったのは、この河川も付け替えが行われ、以前は大荒川という、五頭連峰に源を持つ河川の下流部だった。
大通川沿いを起点に向かって歩いた。下の写真は阿賀野市横山付近の大通川だが、大荒川の頃の面影はなく、集落の中を穏やかに流れていた。
大通川
大通川の起点は白河堰だ。この堰は大荒川と大通川が切り離された昭和40年代にできたものだ。大荒川は福島潟に注いでいたが、低平地であるため排水ポンプが計画されるとともに福島潟への負荷を軽減するために、安野川とともに直接阿賀野川に排水することとなった。大荒川と大通川とを分離した時にこの白河堰が設けられ、大通川に用水を供給するとともに、洪水時に一定量以上の流水が新たな河川となる大通川下流部に流さず、昔の大荒川下流部すなわち大通川方向にながれるようになっている。写真では左側が新たな大通川下流部で、右側が大通川で、堰には越流堤が設けられている。
白河堰
大荒川は五頭連峰から流れてくる河川で、昭和42年の羽越水害では流域のあちこちで土石流が発生して、甚大な被害が生じた。
白河堰から少し上流に歩くと、五頭連峰が見えた。今日は天気も良く、峰にはまだ残雪が残っていた。
大荒川
次に白河堰から、大荒川沿いを下流に歩き、大野地集落まで歩いた。ここで大荒川は安野川に合流している。安野川も先に述べたように阿賀野川に排水するために付け替えられた河川だ。昔は現在の駒林川に流れていた。
大野地集落の手前で新七浦川という河川が大荒川に注いでいる。この河川は近年新たに作られた河川で、大野地集落を守っている。下の写真ではよく分からないが、写真の右手側の堤防が左手側の堤防よりも高くなっている。この川と大荒川そして安野川の3河川に大野地集落は囲まれ、輪中となっている。平成10年8月の水害では大野地集落の殆どの家屋が床上浸水したが、この川の完成によりそうしたことは無くなる計画である。
新七浦川
最後は駒林川だ。この川も大通川同様に安野川から切り離されたため山地流域を持たない。下の写真が駒林川の起点で、大野地集落の中を流れている七浦川から農業用水を取水するために大荒川の下を通るサイフォンで繋がっている。この下流はしばらくの間は河川と言うよりは農業用水路の形態となっている。
駒林川起点
駒林川沿いを下流にしばらく歩くと、旧水原町の市街地になる。駒林川はこの市街地を通り、再び水田地帯を流れ、新潟市北区で福島潟から流れ出す新井郷川に合流する。この新井郷川については昨年4月に川歩きした。
今回は阿賀野市役所付近で川歩きを終わり、起点の瓢湖に戻った。ほぼ半日のコースだった。今回のコースは地図がないと分かりづらいかったもしれないが、いずれ時間ができたときに、地図もアップしたい。

桜咲き誇る青田川2011/04/16 22:00

新潟でもいよいよ桜が咲き始めた。
今日は新潟よりも桜の開花が早い高田に行ってきた。高田は三大夜桜で知られているが、東日本大震災を考慮して夜桜のライトアップなどは自粛されていたが、昨日からライトアップも始まった。
まずは高田の城下町を流れる青田川を上流から下流に向かって歩いてきた。青田川の桜も満開だ。
青田川は南葉山に源を発し、高田城を守るようにお城の西側を流れて一級河川関川に合流している。青田川、関川とも高田城の外堀の役割を果たしていた。
上流側は昔からの面影が残り、その向こうには見えるのは妙高市の大毛無山だろうか。峰には残っている。
青田川
この青田川では市民活動による清掃活動や環境整備が盛んであり、その中心となっているのが「青田川を愛する会」だ。桜の木も老木が多くなっていて、更新のため記念植樹活動も行っている。
青田川を愛する会
青田川では河川環境整備事業が行われ、きれいに整備されているが、下流に行くほど人工的な要素が増えている。
青田川(下流)
だんだんと日が暮れてきたので、高田城周辺の夜桜を見に行った。土曜日と言うこともあり、身動きできないほどの人垣で露店の前では行列もできている。露店も流行り廃りがあり、最近では韓国、中国、ロシア、トルコなど海外の食べ物も増えている。
高田城には天守閣はないが、平成5年には三階櫓が再興され、ライトアップされていた。高田の夜桜も10年ぶりくらいだろうか。久しぶりの夜桜を堪能した。
高田の夜桜

川歩き 桜巡り2011/04/24 18:00

前回の川歩きをしたときは桜は咲いていなかったが、それから2週間が経ち、既に満開となり、散り始めているところもある。そこで今日は桜巡りをしながら、市内の川歩きをした。
まず始めは新潟市南区の鷲ノ木大通川だ。昨年も紹介したが、鷲ノ木大通川は中ノ口川と信濃川とに挟まれた輪中である白根郷の排水を担う河川で、この3河川は同じ地点で合流し、3川合流と呼ばれている。内水河川なので合流点には水門がある。水門から上流の区間は桜で有名であり、この付近は桜町とも呼ばれている。現在は公園として整備され、このシーズンには多くの人が訪れる。
今日もシーズン最後の花を見るために人々が訪れ、花見の宴を開いている人たちもいた。風が強くて、たまに花吹雪が舞っていた。
鷲ノ木大通川(水門から上流を眺める)
鷲ノ木大通川(上流から水門を眺める)
次の訪れたのは秋葉区の新津川だ。新津川については何回も訪れている。この川は小阿賀野川に合流し、最後には信濃川に流れている。新津市街地を流れ何度も水害で襲った能代川の捷水路が完成した後の旧川であり、平成4年に新津川と名前を変えた。
捷水路ができた後は水量が減り、淀んだ河川であったが、平成5年から環境整備が行われ、現在では市民の散策コースになっている。春には沿川の各地で花が咲き誇る。今日は桜のピンクとユキヤナギの白とのコントラストがきれいだった。
新津川その1

新津川その2
次には同じく秋葉区を流れる能代川を訪れた。先に述べたように新津市街地を何度も襲った能代川であったが、改修が進められ、平成12年7月の水害後に上流部の改修も一気に進んだ。現在はこの能代川を「ふるさとの川」にすべく、様々なプロジェクトが取り組まれている。
今回訪れた箇所は平成16年に結成された「にいつ桜の会」が植樹した桜堤だ。それから7年近くを経て、川風が強く木によって差があるが、桜の木もだいぶ大きくなり、花を付けていた。もう少し経つと花見ができるだろうか。その日が楽しみだ。
石柱には、「堪能 代々 夢桜」と刻まれていた。
ここまで来たところで日も傾き、家路に着くことにした。
能代川その1
能代川その2

鯖石川ダム花見 ジンギスカンを堪能2011/04/29 18:00

花見に誘われ、鯖石川ダムに行ってきた。鯖石川は柏崎市内を流れる河川で、このダムは現在は柏崎市となった旧高柳町地内にある。鯖石川ダムは、昭和48年度に完成した重力式コンクリートの治水ダムだ。ダム湖周辺は釣り愛好者でにぎわい、ダムの下流には農山村体験のできるじょんのび村や子供が主役の宿泊体験施設である県立こども自然王国もある。
ダムサイト周辺は公園となり、桜の木も沢山植えられている。ダムに到着したときにちらほらしか咲いておらず、花見には早すぎたのかと思ったが、雪の多い年にはウソ(鷽)につぼみを食べられ、これでも満開だという。
鯖石川ダム
ということで、「花より団子、いやお酒」となった。そんなこんなで桜の写真を取り忘れてしまった。山の幸とジンギスカンで花見の宴となった。このダムの近くにはジンギスカン料理で有名な澤田屋があり、そこから肉を仕入れてバーベキューだ。この高柳では昔はどこでも羊を飼っていて、澤田屋では60年も前からジンギスカン料理をしているそうで、タレが自慢だそうだ。その美味を存分に堪能した。
山の幸