新井郷川分水路と日本海 ― 2010/05/08 21:42
今日は4月の終わりに引き続いて、松浜を流れる新井郷川の下流部を歩いた。

新井郷川の下流部と言っても、ここは既に新井郷川分水路と名前を変えている。
4月に歩いた区間の途中から名前を変えていた。
新井郷川はもともと加治川ともに阿賀野川に合流していた。
しかし、加治川は明治後期から日本海に付け替えが行われ、大正元年に完成し直接日本海に注ぐことになった。
現在はその旧川の一部が派川加治川と名前を変えて新井郷川分水路に合流している。
新井郷川自体も大正年代から昭和初期にに行われた阿賀野川改修により阿賀野川に並行した分水路が掘られ、直接日本海に注ぐことになった。
この時点ではこの分水路が新井郷川と呼ばれるようになり、現在でも新井郷川と呼ばれている。
しかし、河川法上の新井郷川はここではない。
昔は兄弟堀と呼ばれていた水路が新井郷川だ。昭和42年に加治川が破堤し、この周辺が水浸しとなり、排水が困難となったため、阿賀野川の堤防を自主決壊し、兄弟堀を通じて排水した。
自主決壊した場所にはその後排水機場(胡桃山排水機場)が設置され、兄弟堀は新井郷川の本川として残ることとなった。
新井郷川分水路には、新井郷川排水機場(排水量毎秒110m3)がある。新井郷川の水源となっている福島潟の普段の水位はマイナス0.5mほどだ。そのため、自然には日本海に排水できない。このため、常時この排水機場を通じて日本海に排水している。
この新井郷川排水機場は昭和31年に完成し、当時は東洋一の排水量と言われ、近年改築された。
4月に歩いた区間の途中から名前を変えていた。
新井郷川はもともと加治川ともに阿賀野川に合流していた。
しかし、加治川は明治後期から日本海に付け替えが行われ、大正元年に完成し直接日本海に注ぐことになった。
現在はその旧川の一部が派川加治川と名前を変えて新井郷川分水路に合流している。
新井郷川自体も大正年代から昭和初期にに行われた阿賀野川改修により阿賀野川に並行した分水路が掘られ、直接日本海に注ぐことになった。
この時点ではこの分水路が新井郷川と呼ばれるようになり、現在でも新井郷川と呼ばれている。
しかし、河川法上の新井郷川はここではない。
昔は兄弟堀と呼ばれていた水路が新井郷川だ。昭和42年に加治川が破堤し、この周辺が水浸しとなり、排水が困難となったため、阿賀野川の堤防を自主決壊し、兄弟堀を通じて排水した。
自主決壊した場所にはその後排水機場(胡桃山排水機場)が設置され、兄弟堀は新井郷川の本川として残ることとなった。
新井郷川分水路には、新井郷川排水機場(排水量毎秒110m3)がある。新井郷川の水源となっている福島潟の普段の水位はマイナス0.5mほどだ。そのため、自然には日本海に排水できない。このため、常時この排水機場を通じて日本海に排水している。
この新井郷川排水機場は昭和31年に完成し、当時は東洋一の排水量と言われ、近年改築された。

松浜の町を抜けた新井郷川分水路の下流部両岸は砂丘となっていて、大きな化学工場が並んでいた。何故か、工場の壁に鯨が描かれていた。

河口が近づいてくると、潮の香りがする。
河口閉塞まではしていないが右岸側には砂が溜まっていた。
新井郷川分水路の河口の両岸には砂浜が広がり、佐渡が見える。
それ以外は何もない。たまにはこうした光景も良いものだ。
河口閉塞まではしていないが右岸側には砂が溜まっていた。
新井郷川分水路の河口の両岸には砂浜が広がり、佐渡が見える。
それ以外は何もない。たまにはこうした光景も良いものだ。

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